
JTC digital編集部が飛騨高山にある株式会社 シモダ道路の代表 下田様にインタビューをさせて頂きました。
下田様、本日は宜しくお願いします。

宜しくお願いします。

今回はシモダ道路の歴史から、シモダトンボの開発秘話までお話いただけるということで楽しみにしています。
人手不足の建設業界で「本当は日本の建設従事者は足りている」ということもおっしゃられていますが。その辺も是非教えてもらえますか?

もちろん、大丈夫です。

ありがとうございます。それでは早速シモダ道路の歴史からお話頂きます!
シモダ道路の歴史 〜材木運搬からスタート、経営不振から事業拡大へ〜
父である下田優が1968年に下田商店として個人創業、トラックを保有し材木運搬を行っていました。
その傍らドライブインを開店し、自ら全国から珍しい車を収集し国内初の自動車博物館を併設開店もしています。
車と機械が好きだった父は更に建設重機も保有しだしたのですが、自動車収集の事業が経営不振となってしまいました。
経営不振をきっかけに自動車収集から一転し道路建設に専念するため、1981年にシモダ道路の前身である下田重機有限会社を設立しました。

下田重機有限会社となってから東京鋪装工業の協力会社となり、舗装を主とした重機工事に携わり事業拡大し、公共工事の元請け施工会社へ成長していきました。
その後2000年に株式会社シモダ道路に商号・組織変更し、下田徳彦が代表取締役に就任、2009年に「シモダトンボ」の販売部を分社化し株式会社アイデア・サポートを設立しています。
シモダトンボ開発の経緯 〜職人に愛される道具を目指して〜
先代の父が1985年に開発した「シモダトンボ」。
「シモダトンボ」の開発の経緯は実際の利用者目線に立った使い勝手の良さを求めた道具作りから始まりました。
力が入れやすいグリップ形状であったり、消耗品である引き板(ブレード)の交換のし易さであったり、狭い現場でも対応できる伸縮の柄など、使い込むほど道具の良さを感じられる「愛着のある道具」を目指したことが「シモダトンボ」の開発経緯です。
こだわりの強い職人相手に認められる道具を開発することは決して簡単な事ではないが、一度認めていただけたら、また次も同じもの買って使う職人気質を知っていたからこそ、徹底してユーザーの意見を聞き取りながら改良を加え現在に至っています。
今後も父からの開発の精神を受け継ぎ、進化させていきたいと考えています。

こだわりの強い職人に認められるほど突き詰めたユーザー目線。この精神が現在のシモダトンボやシモダ道路に繋がっているんですね。
シモダトンボの開発秘話などあればお聞かせください。
シモダトンボ「開発秘話」〜全国展開のキッカケ〜

開発当初は便利な道具として認めらるものの、商品としての販売を始めたころは従業員であった職人から「舗装屋は舗装をやっていればいい」と反対されていました。
倉庫に積まれた在庫のダンボールの山、欠陥品の対応に追われる父、これまで経験のない作業をする事務員など、行く手を阻む多くの困難に見舞われていました。
確かに職人の目から見れば、本業で生み出した利益を副業で利用されていると思ったんだと思います。
そんな事が続く中、2000年に事業継承して私が代表取締役となりました。
父はシモダトンボに専念し行商をはじめ、苦戦しながらも顧客先を開拓していき、私は2代目として工事の営業、施工、管理に追われながら本業の経営を行いました。
そんな矢先、主要取引先倒産による連鎖倒産の危機に陥り、「もうこれまでか」と窮地に立たされ、会社存続のために何か打つ手はないかを3日間寝ずに考えました。
その答えが「シモダトンボの全国展開」であり、それを元に作成した改善計画書を金融機関に提出し、その場を凌ぐことができました。

その後は計画の実行を繰り返し、ホームページを開設しネット販売を始め、リピーターを増やしながら、中部圏から少しづつ市場を開拓し、借金は5年で返済しました。
同じ地域の同業者はライバルであるが、地域を越えた時に同志に変わり、商品販売を通して多くの人との出会いがあります。
多くの経験を持つ優秀な技術者や面白い考え方の経営者、そしてアイデアを持った職人さん。
人との出会いで自分自身も大きく成長できたと実感します。
2009年のアイデア・サポートの設立は、人とのつながりを活かし、現場のアイデアを形に変え、また違う現場で活用する橋渡しや、自分が良いと思ったことを他人にも伝えていくことをビジネスとしてできないか考えるようになったことがきっかけなんです。

最初から順調だと思っていましたが、このような過程があったとは。
危機を乗り越える過程でさまざまな出会いやアイデア、そして成長に繋がったのですね。
冒頭にもお聞きした「本当は日本の建設従事者は足りている」というのはどういうことなんでしょうか?
本当は日本の建設従事者は足りている? 〜常識を疑うことで、生まれるアイデア〜
何事も狭い視野だけで物事を見て正しい判断は難しいと考えています。
やはり広い視野に立って初めて気づくことが多くありますよね。
シモダトンボの拡販を通して全国のユーザーや販売店と出会い、また製造仕入れに関わるメーカーや仕入先との出会いにより、異業種の方々との関係性を築きながら舗装業界だけでは知り得なかった情報を受信できるようになった。これらの経験を通して自分自身も業界や地域を越えた考え方ができるようになりました。
インターネットにより、世界のあらゆる情報も取り入れる事ができるので、さらに広い視野に立って物事を見ていく必要があります。
世界基準で考えた時、日本や地元にいて普通だと思っていたことが、実は普通ではない事に気づく。
つまり常識だと思い込んでいたことが非常識になることもある。
建設業で例えるなら、日本の建設従事者、また全産業における建設従事者の占有率は共に減少傾向にあり、人手不足の傾向にありますが、世界的に見た場合もっと少ない国も多くある事も事実であり、日本の労働生産性が世界的に比較すると低く、さらに建設業は全産業の中においても低い事も事実です。


建設業は「雇用の受け皿」として地域社会や経済に果たしてきた役割もあるので、地方に行くほど建設従事者の割合が高く、これまで人がいることが当たり前であったので、人口減少や建設業離れにより、人が減る事への対策が少し遅れていますよね。
対策方法は幾つもあるが、まずはこれまでの常識を疑ってみることから始めています。
例えば、この作業は3人必要と決めつけるのではなく、2人でやるための方法を考えてみたり、作業をプロセスからではなく結果から考えてみたり、凝り固まった頭を柔らかくすると新しいアイデアが次々と出てくる。


また視野を広げて海外のやり方をYouTubeで見ているだけでも、多くのヒントがあり、これまでの常識を覆されることが多くあります。
3年前に北欧の建設機械を導入しましたが、実際多くの現場で使ってみて、その生産性の高さに驚いています。
元々人口が少ない北欧では、人が少なくても効率が良く作業できる様々な工夫が建設機械に備わっており、全体的に生産性が高く日本より高い数値が示されています。北欧では長く厳しい冬、固い地盤、複雑な地形といった建設作業においては悪条件の環境だからこそ、多くの知恵がわき、建設技術にも生かされている。
人は環境に適応して生きていく力を元々持っているので、人が減れば減ったなりのアイデアが生み出され、その状況下での対応をしていくものだと思います。

広い視野を持ち、常識を疑う。
「本当は日本の建設従事者は足りていない」のではなく、生産性があがる方法を取り入れていないという「気づき」になるわけですね。
最後に今後の展望について教えてください。

今後の展望について 〜飛騨高山のDNAで、後世に繋げる仕事を〜
地元飛騨高山には「飛騨の匠」が築いた歴史的建造物があります。
それはその昔、都であった奈良や京都の神社仏閣の建造で培った技術を地元に持ち帰り造り上げた物。
今後は飛騨の匠のDNAを引継ぎ、後世に繋げる仕事をしたいと考えています。
この考えを自分の与えられた仕事に置き換え、世界の技術を地元で活かす取り組みを行い、地域に必要とされる会社を目指します。


またアイデア・サポートとしては、シモダトンボの販売を通して繋がった全国の同業者の方々へは、作業の改善や効率が良くなる道具の提供を引き続き行いながら、新しいサービスを開発し提供していきたい。
更に取引先との相互の発展的な関係を築き、舗装業界に必要とされる会社を目指していく。
独自性を活かしながら、共感できる仲間を増やし、仕事を面白くし、愉しんでいきたいですね。



飛騨の匠のDNAを引き継いで後世へ繋がる仕事を、共感できる仲間と共に、愉しんでいく。ですか。
私たちもインタビューをさせて頂き、思わずワクワクしてしまいました。
ちなみにシモダ道路様では採用は行っているのでしょうか?

もちろんです。
共感してくれた方は、お気軽にどうぞ。

こちらの記事を見て共感された方は、是非お問合せしてください。
株式会社 シモダ道路、代表 下田様 インタビューありがとうございました!

こちらこそ、ありがとうございました。
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